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1.世界最古の棋譜
(2004メール碁会通信(2号)、(3号)に掲載)
その前にわが国最古の棋譜ですが、天正十年(1582)本能寺の変の前夜に信長公の御前で打たれた、日海(後の初代本因坊算砂)と利玄との一局だと言われています。この碁で三劫が生じたため、以来三劫不吉の前兆と言われてきました。ところが棋譜で見る限りどこにも三劫が生じそうな所はなく(棋譜は128手まで)何局か打たれたなかの他の局ではないか…とも言われれています。
(右図)
それはともかくとして、これより更に古い年代の棋譜があることはあります。
林元美(ハヤシゲンビ)(1778〜1861)が書いた「爛柯堂棋話」(ランカドウキワ)に出てくる鎌倉時代(1185〜1331)の日蓮上人と弟子の日朗との対局、永禄時代(1558〜1569)の武田信玄と功臣高阪弾正との対局、同じく真田昌幸・信幸親子の対局がそれです。
それらの棋譜が生まれた逸話とともに紹介されています。しかしこれらの棋譜はいずれも後世のいわゆる「拵え物」で、実存したものとは認められていません。並べてみればすぐ分かりますが、流れるような石の運びや、最強の手を応酬しながら双方潰れないところなどは、後世の専門家の所作とみて間違いありません。元美としては、これらの棋譜を逸話とともに加えることによって、生涯をかけた力作に花を添えんとしたものでありましょう。
さて本題の中国に戻ります。最古の棋譜といっても、棋譜そのものが残っているわけではありません。中国の古い棋書に出てくる棋譜の中でどれが最も古いか、という問題です。そこで最も古い棋書は何か、ということになりますが、それは北宗の徽宗皇帝時代(1100〜1125)
(右図)
に宮廷で編纂された「忘憂清楽集」(ボウユウセイラクシュウ)というものです。序文に皇帝の詩があり、その最初の句をとって題名にしたものです。因みに二番目に古いのが「玄玄碁経」(ゲンゲンゴキョウ)で、元代の至正七年(1347)にこの世に送り出されました。次いで明代の「四子譜」(シシフ)「官子譜」(カンズフ)と続きます。さてその「忘憂清楽集」にそれまでの古い棋譜が収められています。
これを古い年代順に列挙します。
・三国志の呉の孫権の兄の孫策と功臣呂範 との対局
・晋の武帝と王済との対局
・同じく晋代の碁として、王質なる木こりが山 中で見たという二童子の対局(いわゆる「爛柯図」)
・唐の玄宗皇帝と鄭観音との対局
・同じく唐代の閻景実と顧師言との対局
・同じく賈玄と楊希燦との対局
このうち「爛柯図」(ランカズ)については次のようなエピソードがついており古来有名ですが、棋譜そのものは戯作であると明記されています。
“晋の時代(四世紀末〜五世紀初)揚子江の南杭州湾に注ぐ銭唐江の上流で、王質なる木こりが山に入り道に迷い、そこで仙童二人が切り株に腰をかけて碁を打っているのに出遭う。その碁があまりにも面白かったので王質は時の経つのも忘れて見入ってしまった。やがてその碁も終わり霧がくまなく晴れわたったとたんに、碁盤も仙童二人の姿も消え去り、王質ひとり斧をかついでぼんやり立っていた。気がついてみると、その斧の柄がボロボロに朽ちていた。”
爛はくさる、柯は斧の柄のことです。「爛柯堂」という林元美の雅号もそこから取っており、現代の身近な例としても「爛柯」の文字を冠した碁会所を見かけることがあります。
さて問題は、孫策の碁、晋の武帝の碁、唐の玄宗皇帝の碁です。
囲碁史の研究家として知られる渡辺英夫氏(日本棋院七段、昭和52年引退)は、その著「中国古棋譜散歩」のなかで次のように述べておられます。
“歴史上著名な人物の対局譜と称するものが存在するというだけで十分飾り物としての意義はあるゆえ、偽物として抹殺することは出来ないが、反面これを真物として扱うことは碁史の真実を探索せんとする上からは、確証がない限り不可とせざるを得ない。その疑わしい諸点を挙げるとまず第一に、この孫呂対局譜が忘憂清楽集に載った1104年から遡って900年も前の碁がその間どうして伝わったのか(中略)曖昧である。晋武帝の碁は孫策から90年ほど後であり、唐玄宗皇帝の碁はさらに400年あまり後であり、このように飛び飛びに歴史上有名な人物の碁が一局づつ残るということは有り得ないと思われる。(中略)いずれも宋代の作り物とみるべきである。”
思うに「爛柯堂棋話」の日蓮上人や武田信玄、真田昌幸の話は、この中国の故事に倣ったものでありましょう。渡辺氏は続けて、“唐の大中年間(850年頃)に打たれたとする閻景実と顧師言、賈玄と楊希燦の二局であるが、これらはおそらく真物で、このうちのいずれかが最古の棋譜ではなかろうか。”と述べておられます。
この四人はいずれも当時の碁の専門家で、なかでも顧師言(コシゲン)は大中七年に来唐した日本の王子と対戦して、両シチョウ当たりの妙手を放って勝ったという例の「鎮神頭」(チンシントウ)の話で有名です。時代的にも忘憂清楽集から250年くらい前で、このくらいなら棋譜が伝わっても不思議はないし、専門家同士の碁だけにしっかりした棋譜が残されていてもおかしくないと思います。
渡辺氏の説に従い、この二局を中国最古の棋譜とします。二局のうちどちらが先に打たれたかは分かりませんが、先に書かれている顧師言と閻景実(エンケイジツ)の局を最古の局としてご紹介することとします。
忘憂清楽集の顧師言と閻景実との棋譜には、「金花椀図」(キンカワンズ)という名前がつけられています。そして添え書きに
待詔の閻景実 顧師言と著蓋金花椀一隻を争う 閻景実 白先 顧師言 黒勝一路 各一百
二十二着 黒 白六子を殺し 白 黒六子を殺す 黒 四十路有り 白三十九路有り
とあります。待詔(タイショウ)とは君命により宮仕えをする人のこと、そして蓋のついた金色の花の模様の椀一個(貴人が興趣のため提供したものか)を争った…と。
そもそも中国の古碁は四隅に石を置き合ってから、白から打ち始めています。これが清末民初まで続きました。(黒から打ち始めた碁もあります。その場合は君臣、父子、上手と下手などの上の人が白を持ち、上の人が下の人に“黒先を許す”という但し書きがあります。)
閣景実が白(先手)、顧師言が黒(後手)、結果は黒一目勝ちとなっています。面白いのは、この碁は現在の日本式の計算(地 の多少で決める)になっており、中国式の計算(盤上に存在する石の多少で決める)になっていないことです。中国式計算になったのは明末清初と言われています。特殊なセキがある場合を除いて、地計算方法と石数計算方法とで勝敗は変わりません。
もう一つ面白いのは、アゲハマ6個づつを埋め合って作ってみると黒地46目白地45目で、添え書きの40目39目と合いません。
これは中国特有のルールである「切り賃」のためです。盤上の黒も白も三ヶ所づつに分かれているので、一ヶ所2目づつ引かれるのです。なおこの切り賃は明末清初には一ヶ所1目となっています。
それではこの棋譜をGowriteで「KINKAWAN」のファイル名でお届けします。この碁はクリックして並べてみるとお分かりになると思いますが、流れるような石の運びで、現代の日本の碁に似たようなところがあります。これが千二百年も前に中国で打たれた碁かと思うと感慨なきを得ません。
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